ようやくスタート
2023年6月14日に、認知症基本法が成立しました。
痴ほうから認知症に名称が変更されて以降も、具体的で明確な支援ビジョンが示されていないまでした。
認知症基本法は2019年にも法案として提出されたことがありますが、大綱策定時に「認知症の予防」の考え方に対して、当事者側から「認知症がその人の責めに帰する病気」であるかのような誤解が生じることへの懸念も湧きあがり理解を得られなかったようです。
痴ほう症であった時代から、認知症に名称変更される中で、急激に認知症の方とのかかわりが増えてきたようにも感じます。
内閣府「平成29年度版高齢社会白書」によると 2025年には「65歳以上の5.4人に1人が認知症患者」となるという数字が示されています。
認知症基本法には何が示されているのか
第一条 この法律は、我が国における急速な高齢化の進展に伴い認知症である者(以下「認知症の人」という。)が増加している現状等に鑑み、認知症の予防等を推進しながら、認知症の人が尊厳を保持しつつ社会の一員として尊重される社会の実現を図るため、認知症に関する施策(以下「認知症施策」という。)
認知症基本法
つまり「共生」です。認知症になっても安心してその人らしく生活できる社会を、皆で過ごしていく。またできる限り予防もしていく。
私自身、高齢者福祉の世界に身を置く中では、認知症の方と遭遇することは珍しくありません。感覚的には、高齢の方のほとんどの方が認知症様の症状をお持ちです。
認知症になると不幸なのか
これは大きな課題です。病気になることは健康でいることよりも大変なことが多いのは間違いでしょう。
加齢により心身の能力低下が起こるだけでも、社会では「弱者」となり、そのような機能低下を感じた当人は「歳は取りたくない」と口にされる。
その上、認知症になるとどうか?
当事者の方の意見も様々ですが、今回の法律の肝である「共生」の目指すところでは、障害と同様に認知症の症状をお持ちの方も当たり前に隣にいる人として安心できる社会を創っていくこと大切であると示されています。
認知症の当人とそれを支える人々が「不幸」と感じない社会づくりのための法律が成立したのだと思います。
認知症にも格差
認知症の方も、支援者が同居している人、経済的に余裕のある人、またはそれぞれ反対の状況にある人、その後の生活の質には格差が表れているように見えます。
①専門的医療のアプローチの格差
早期に専門的医療にかかることができて、その方針を支援者とと共に決めていくことができれば、その後も安心かもしれません。反対に、兆候があっても医療を受けない状態にしたり放置したりすると、症状に合った対応ができないままとなります。数年後の状態に差ができる可能性もあります。
②経済的格差
介護も費用が掛かります。最近は民間の介護保険などがあり、一定の要介護状態になったとき又はそれに加えて一定の基準になった時に給付がうけられるようです。経済的に余裕のある方と、そうでない方の支援計画には明らかに差がでます。施設入居などを考えた場合はなおさらです。
要介護の1割負担の方がグループホームに入居した場合、介護度、地域や施設個々の費用設定にもよりますがおおよそ、月額140,000円~(食費込み その他オプションがある場合あり)です。
同居世帯で暮らす場合も、若い世代の人々との合計所得がある程度余裕があれば問題ありませんが、どちらかが少なく生活に余裕がない場合は介護に十分費用を割くことができなくなります。
自宅で暮らすにしても、一人暮らしの認知症高齢者が暮らし続けるには相当の費用が掛かります。
食事を準備できなくなった場合に、宅配弁当を頼むにしても1日2食で月額40,000円(事業所による)ほどかかります。
これらに対応できる経済的余裕がない場合は、衣食住+介護を節約してプランニングするようになります。必然的に生活の質は低下します。
③支援者による格差
身近な支援者が、今回の法律の通り認知症に対しての理解が深く、共に生きることを目指してくれる人であれば最高です。しかし、実際はなかなかそうはなりません。
・老々介護で限界が早い場合。
・老々介護で不適切介護の場合
・若い世代との関係性が悪い場合
・若い世代が病気に理解が無い場合 など
法律だけでは守れない
法律により、認知症の方も安心して生活できる「共生」を目指し、認知症施策推進本部により必要な施策を講ずることは示されています。
しかし、実際の「自分」の生活をより質の高いものにできるかどうかは、十分に考えて準備をしていく必要があります。
「ボケたら施設に入れてくれ」などを言っていても、その時になったらその通りにはなりません。地域の社会資源としての施設は限られますし、施設も入居者を選ぶ可能性もあります。
人生100年時代。
認知症は身近なものです。支援者、お金、住まいなど総合的に考え、準備をしておくことでより質の高い自分らしい生活を手にすることができるかもしれません。
認知症を自分事としてとらえて有りようを考え、それを周りの人一緒に考え歩むことで「共生」の社会が作られていくのではないでしょうか。